シノハラさんのフィールドワーク歴史探訪。
人によっては「そこまで行くとオカルト」
とか言うかもですが自覚はあります、
好きなんだよ、そういうの、
ほっとけーきほっとけーき。

内子町の新田八幡神社。
南朝方新田義貞公の息子新田義宗公がこの地で亡くなり、
お祀りしているという神社ですが諸説あり。
とは言えこんな山奥にこんな社があると言う事は何かしらあったと言うことでせう。
四国はこんな言い伝えが残る地の枚挙に暇がない。

新田一つ引きの紋

また、松山からここに来る間「砥部町」を通り抜けてくるのですが、
その辺りは楠木正成公を自害まで追い詰めたと言われる
「大森彦七盛長」がその後拝領した土地とも言われ、
怪異談「魔住ヶ窪」の舞台だったりもします。
はー学校でこういう研究ばっかりやってたかった。
まぁ、南朝勢は湊川の戦い以降、
足利義満公登場の南北朝合一まであちこち転戦してまわり、
北朝方とその姿を融和?させて
足利室町幕府が本格的に日本を統一した訳ですけれども、
その後天正安土桃山を経て天下統一を成し遂げた東照大権現徳川家康公は
新田氏の末裔(諸説あり)当の足利将軍は信長に追い出された事を思えば
世の中って・・・世の中ねぇ・・・世の中だなぁ・・・
四国山中には平家の落人伝説も数多く残っており、
そんな山中に南朝方源氏も落ち延びて来たと思えば
まさに諸行無常ですな。いやー乱世、乱世。
話を戻してここ「新田八幡神社」ですが、

二股の杉の木

その根元周辺を覆う苔が何とも美しく、今時貴重な一枚。
シノハラさん、やっぱ新しいカメラ欲しいなー・・・って・・・・

そして刮目せよ、ひれふせおののけご立派様なるぞ頭が高いひかえおろう。
境内のご立派様に汗顔平伏五体投地して来ました、心が洗われました。
かつて道後フェニックス、福原ポートタワー、YSW.44、
ススキノ新山と謳われて(謳われてない)いい気になっていた私なれど、
それはまるで釈迦の手のひらで踊る孫悟空、井の中の蛙、ただの世間知らず。
世の中には自分よりも固く太く大きい上には上がいる事を胸に刻み、
何事も初心忘れるべからず、齢四十なれど童〇だった頃の気持ちを思い起こし、
やはり常日頃謙虚に生きねばならぬと心に誓わせてくれたのでした。謙虚大事。

もう私の携帯端末のロック画面ですよ。